会社名 | 末廣精工株式会社 |
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本社所在地 | 兵庫県三木市別所町高木910 |
役員一覧 | 代表取締役社長 津村 敏弘 |
取引先一覧 | [アイウエオ順] |
従業員数 | 50名 |
資本金 | 2000万円 |
創業 | 大正12年5月1日 |
神戸電鉄 三木駅より車で5分
神戸市営地下鉄 西神中央駅より車で20分
JR加古川線厄神駅より車で15分
大正12年5月1日(1923年)津村末廣鋸製作所を創業し手挽鋸を製造。
第2次大戦中、大阪陸軍造兵廠協力工場として野戦設営用鋸を製造。
戦後は、山林伐採用鋸を主力に大工用園芸用鋸を製造。
昭和33年(11958年)刃物の機械化波及を想定し伐採用チェンソーの研究を開始し重要部品のソーチェンとガイドバーの試作を開始する。昭和35年(1960年)本格生産開始。
昭和40年(1965年)10月チェンソーガイドバーを量産するための専用工場を現本社工場所在地に建設。
昭和42年(1967年)6月1日末廣精工株式会社に組織変更。
昭和49年本社事務所3階建(300)を建設。
昭和54年(1979年)5年間の研究開発を経てスプロケットノーズ型ガイドバーの量産を開始
昭和54年(1979年)事業拡大に伴い第2工場を建設。資本金を2000万円に増資。
昭和55年(1980年)よりヘッジトリマー刃、芝刈機用リール刃、根切り用超硬チェン等の緑化園芸用刃物の生産を開始する。
昭和60年(1985年)第3工場を建設する。
昭和60年(1985年)チェンソーアート用カービングバーの生産を開始する
平成7年阪神大震災を教訓として災害時の人命救助用に超硬レスキューチェンを開発する。
平成15年(2003年)創業80年を迎える。
平成18年(2006年)緑化園芸用機器の拡充を図るため設備を増強する。
平成24年(2012年)ISO9001:2008/JIS取得
平成29年(2017年)ISO9001 2015年版に更新
『播磨国風土記』に登場する天目一箇命を祖神とする大和鍛冶と5世紀中頃に百済の王子恵と共に渡来した韓鍛冶の交流を起源とする1500年以上の歴史を誇る播州三木刃物の歴史と技術を現在に生かしたモノづくりをしております。
まだ私が末廣精工に入社間もないころ、地方を営業で回っていた時のことです。あるお客様が末廣精工の前身の津村末廣鋸製作所時代に製作されたとても古い鋸を持ってきて、この鋸はすばらしい!いまでも目立てをしながら 大切に使っているよ、とほめてくださいました。私はそれ以来、末廣精工で作るものはすべて、何十年も先を見据えて大切にしていただける商品であるべきだと考えています。
近代的なシステムと伝統の技の融合を目指し、外部の専門家も交えた科学的な改善をベースに、切れ味が違う、満足が違う、一生大切にできる刃物作りを全社一丸となって目指しています。
高品質の製品とサービスお客様に満足される高品質の製品とサービスを提供する。
達成状況をレビュー品質目標を定め、実行計画を策定し、その達成状況をレビューする。
高品質の製品とサービス高品質の製品を提供するため、品質マネジメントシステムを実行し、継続的に改善する。
教育訓練システム全従業員に品質方針を周知徹底するとともに必要な知識・技能を教育する。
ニーズの変化に対応求められているニーズの変化に対応するためこの品質方針をレビューする。
昭和33年(1958年)まだ外国製のチェンソーしかなかった時代から末廣精工はチェンソーガイドバーを作り始めました。『舶来もの』しか評価されなかった時代、林野庁で2年近くフィールドテストを繰り返し、試行錯誤と研究開発の末に、やっと『舶来もの』に負けないガイドバーを造り上げました。
林野庁でのフィールドテストで末廣精工のガイドバーの優秀性が証明され、それをきっかけにアメリカ マッカラー社の総代理店であった新宮商行様にマッカラーチェンソー用ガイドバーとして正式採用されました。
その後 アメリカ ホームライト社総代理店 和光貿易様、ドイツ スチール社総代理店伊藤萬様(当時)に次々に採用されました。すでに豊富な知識と経験を持っていた末廣精工にはチェンソーの国産化をめざすメーカーから開発段階からの参画の要請があり富士重工様、共立様には最初より正式採用されました。
昭和40年代半ばより直接海外貿易を開始し現在では海外33カ国に輸出しております。
レスキューチェンは災害救助用に開発された特殊超硬チェン刃です。阪神大震災において倒壊した家屋から救助する際、釘などが打ち付けられた柱や梁、壁、などを従来のチェン刃で切断するとすぐに切れなくなり一刻一秒を争う人命救助において非常に困ったとの現場の声から開発されました。東京消防庁の規格に合格し、各地消防署に納入されております。また、海外ではドイツの消防署にも納入されております。